鎌倉二日目紀行 ― 北鎌倉の禅刹から源氏山の切通へ

副題 由比ヶ浜の朝にはじまり、五山の禅と中世の切通をたどって都を出る

主要キーワード:北鎌倉/円覚寺・建長寺/鎌倉五山/亀ヶ谷坂・化粧坂切通/寿福寺/源氏山公園/銭洗弁財天

目次

1 今日のテーマ 禅と切通をたどり、武家の都を歩いて閉じる一日

二日目は由比ヶ浜の早朝散歩から始まる。長めの朝食をとってJRで北鎌倉へ抜け、円覚寺・建長寺という鎌倉五山の禅刹を訪ねる。亀ヶ谷坂の切通を越えて市中へ戻り、寿福寺で北条政子・源実朝ゆかりの墓所を確かめ、午後は化粧坂の急坂を登って源氏山へ。銭洗弁財天に立ち寄り、鎌倉駅で土産を求めて品川へ帰る。禅宗文化と中世の道、そして源氏・北条の記憶を、歩きながら締めくくる行程である。

2 基本情報

朝の過ごし方・移動

早朝は宿に近い由比ヶ浜海岸を散歩。長めの朝食をとってから出発し、荷物が軽ければそのまま、重ければ鎌倉駅のコインロッカーに預ける。鎌倉駅からJR横須賀線で北鎌倉へ(一駅)。北鎌倉駅から円覚寺は徒歩すぐ、建長寺へも徒歩圏。ロッカーの空き状況・運賃は要公式確認。

円覚寺

鎌倉五山第二位、臨済宗円覚寺派の大本山。開基は鎌倉幕府8代執権・北条時宗、開山は宋の高僧・無学祖元。1282年(弘安5)、二度の元寇(文永・弘安の役)で戦死した敵味方双方を弔うために創建された。拝観時間は3〜11月が8:30〜16:30、12〜2月は8:30〜16:00。拝観料は大人(高校生以上)500円、小中学生200円。国宝の舎利殿・洪鐘(おおがね)がある。

建長寺

鎌倉五山第一位、臨済宗建長寺派の大本山。開基は5代執権・北条時頼、開山は宋の禅僧・蘭渓道隆。1253年(建長5)創建の、日本最初の禅宗専門道場とされる。本尊は地蔵菩薩で、境内はもと「地獄ヶ谷」と呼ばれた処刑場の跡。1255年鋳造の国宝梵鐘に「建長禅寺」の語が見え、「禅寺」を名乗った日本最初の寺とされる。拝観料・拝観時間は要公式確認。

亀ヶ谷坂切通

北鎌倉(山ノ内)と扇ガ谷を結ぶ切通で、鎌倉七口の一つ。建長寺方面から鎌倉中心部へ抜ける自然な経路。鎌倉が山に囲まれた要害の都市であったことを体感できる。路面は坂道のため歩きやすい靴が無難。通行状況は要公式確認。

寿福寺

鎌倉五山第三位、臨済宗建長寺派。正治2年(1200)、源頼朝の死の翌年に北条政子が頼朝の菩提を弔うため、栄西を招いて創建した。源頼朝の父・義朝の屋敷があった地とされる。境内は通常非公開で、参拝できるのは山門から中門までの参道と、裏山の墓地のみ。裏山のやぐらに北条政子・源実朝の墓と伝わる五輪塔がある。墓地への道は山道のため足元に注意。拝観は志納。特別公開時期・立入条件は要公式確認。

昼食(扇ガ谷・鎌倉駅西口周辺)

午後の化粧坂・源氏山の上りに備え、軽めに。具体的な店舗・営業時間・定休日・予約可否・価格は要公式確認。

化粧坂切通・源氏山公園

化粧坂(仮粧坂)は鎌倉七口の一つで、葛原ヶ岡を経て梶原・藤沢へ通じた古い鎌倉往還。岩肌の露出した急坂で、雨上がりは無理をせず慎重に。登りきった葛原ヶ岡一帯が源氏山公園(標高約93m)で、1980年に源頼朝の鎌倉入り800年を記念して建てられた頼朝像がある。山側の地形から、鎌倉の都市構造を俯瞰できる。

銭洗弁財天宇賀福神社

源氏山の西、佐助ガ谷にある神社。境内奥宮の洞窟に湧く清水「銭洗水」(鎌倉五名水の一つ)で銭を洗うと福銭になるという信仰で知られる。文治元年(1185)の源頼朝の夢のお告げを起源とする伝説があり、銭を洗う習わしは5代執権・北条時頼の頃に広まったと伝わる。銭洗い用のザルが備え付けられている。紙幣を洗う場合は乾かす手間に留意。参拝時間・駐車場の規制は要公式確認。

土産・帰路(豊島屋本店・鎌倉駅)

鎌倉駅周辺で土産・休憩。鳩サブレーで知られる豊島屋本店は鎌倉土産の定番。営業時間・定休日は要公式確認。帰りは鎌倉駅からJR横須賀線で品川へ。

モデルスケジュール

6:30〜7:00 由比ヶ浜海岸 早朝散歩

7:30〜8:45 KKR鎌倉わかみや 長めの朝食。2日目は歩くので急がない

9:00頃 KKR鎌倉わかみや出発 荷物が重ければ鎌倉駅ロッカーへ

9:15頃 鎌倉駅 JR横須賀線で北鎌倉へ

9:25頃 北鎌倉駅 下車

9:30〜10:40 円覚寺 鎌倉五山第二位。元寇後の鎮魂、臨済宗

10:55〜12:15 建長寺 鎌倉五山第一位。北条時頼、禅宗文化を確認

12:15〜12:45 亀ヶ谷坂切通 北鎌倉から市中へ。山に囲まれた都市を体感

12:50〜13:20 寿福寺 北条政子創建。伝 北条政子墓・伝 源実朝墓

13:25〜14:15 扇ガ谷・鎌倉駅西口周辺 昼食。化粧坂に備えて軽め

14:30〜15:10 化粧坂切通 岩肌・急坂。雨上がりは慎重に

15:10〜15:40 源氏山公園 頼朝像、山側の地形を理解

15:45〜16:20 銭洗弁財天宇賀福神社 銭洗水で参拝

16:40〜17:20 鎌倉駅周辺・豊島屋本店 土産、休憩

17:30〜18:00頃 鎌倉駅 JR横須賀線で品川へ

18:20〜18:50頃 品川駅 到着

3 旅の情景

浜辺の朝

夜の明けきらぬうちに宿を出て、由比ヶ浜のなぎさへ下りる。潮はまだ眠たげに寄せては返し、人の影もまばらである。昨日の慌ただしさはどこへやら、ただ波の音のみが胸にしみわたり、海はここでこそ、ゆるりと味はふべきものであった。

宿に戻りて、二日目の朝餉は急がず長くとる。この日は専ら歩く一日であると心得てゐればこそ、腹をこしらへ、足を休め、ゆつくりと身支度をととのへるのである。

北鎌倉の禅刹

鎌倉より一駅、北鎌倉に降り立てば、空気のしめりかたまでが違ふやうに思はれる。山あひにしづもる円覚寺の門をくぐれば、元寇のいくさに斃れた者らを敵味方の隔てなく弔ふために建てられた寺と聞く。木々の深きみどりのなか、舎利殿の屋根がしづかに反りを見せ、訪ふ者の声をおのづから低からしめる。

道を進めて建長寺にいたる。鎌倉五山の首位に列するこの大刹は、もと処刑場であつたといふ谷に、禅のともしびを掲げて起こされた。三門を仰ぎ、伽藍を一直線に貫く配置をたどれば、宋より渡り来た禅僧らがこの地にもたらした、清冽なる気風が、八百年ののちもなほ境内に流れてゐるのを覚える。

切通を越えて

建長寺をあとに、亀ヶ谷坂の切通へと足を向ける。両側より山の迫る細き道を抜けるうち、鎌倉なる都が、海と山とにかこまれた天然の要害であつたことが、理屈ではなく足の裏に伝はつてくる。武士らはこの隘路を守りとし、また通ひ路としたのである。

寿福寺の墓所

市中へ出でて寿福寺の門をくぐる。頼朝の没した翌年、政子がその菩提を弔ふために開いたと伝はる寺である。表は静かにして人影もまれ、参道のしじまが、かへつて寺の古さを物語る。

裏山の墓地にまはれば、岩を繰りぬいたやぐらのなかに、北条政子と源実朝の墓と伝へられる五輪塔が、ひつそりと並んでゐた。尼将軍と、若くして散つたその子と。母と子の眠りを前にして、昨日たどつた鶴岡の暗殺の場が、にはかに胸へ呼びもどされるのであつた。

化粧坂と源氏山

午後、化粧坂の切通にかかる。岩肌のあらはな急坂は、これまでの道とは趣を異にし、中世の路がいかに険しきものであつたかを、まざまざと身に教へる。雨のあとの濡れた岩に足をとられぬよう、ひと足ひと足、慎重に登りつめる。

坂を越えれば源氏山の項にいたる。木立のあひだに源頼朝の像が立ち、麓に源氏の屋敷を構へたといふ往時を偲ばせる。高きより鎌倉の地形を見わたせば、谷と尾根の入り組むさまが一望のもとにあり、この町がなぜ武家の府たりえたかが、おのづから腑に落ちるのであつた。

銭洗の泉、そして帰路

源氏山を下り、佐助の谷あひに鎮まる銭洗弁財天に詣でる。三方を岩にかこまれた狭き境内、洞窟の奥より湧く清水に銭をひたせば、いささかの童心のよみがへるを覚える。頼朝の夢に発し、北条時頼の世に広まつたといふこの信仰が、いまも絶えず人を呼ぶのは、ゆえなきことではない。

鎌倉の駅へ戻り、土産をもとめ、しばし休む。横須賀線の車中にゆられて品川へ向かへば、窓のそとを夕暮れの街がながれてゆく。二日にわたる観音と大仏、禅刹と切通、源氏と北条の旅は、かくしてしづかに幕をとぢるのであつた。

4 地理と歴史のノート

◉ 北鎌倉の建長寺と円覚寺は、いずれも執権・北条氏が宋から渡来した禅僧を迎えて建てた、鎌倉五山を代表する禅刹である。建長寺は1253年(建長5)、5代執権・北条時頼が蘭渓道隆を開山として創建した日本最初の禅宗専門道場で、1255年鋳造の国宝梵鐘に刻まれた「建長禅寺」の語は、「禅寺」を名乗った日本最初の例とされる。本尊が地蔵菩薩なのは、境内がもと「地獄ヶ谷」の処刑場であった名残という。一方の円覚寺は1282年(弘安5)、時頼の子・8代執権北条時宗が、二度の元寇で斃れた敵味方双方の菩提を弔うため、無学祖元を迎えて建てた。野菜や豆腐を用いる「けんちん汁」が建長寺発祥の「建長汁」に由来するという伝承や、円覚寺で坐禅した経験が夏目漱石の『門』に反映されているという話は、堅い歴史のかたわらの、ちょっとした彩りである。

◉ 鎌倉は三方を山、一方を海に囲まれた天然の要害で、外部との行き来は「鎌倉七口」と呼ばれる切通に限られていた。この日たどった亀ヶ谷坂と化粧坂も、その七口に数えられる。切通は防御の要であると同時に、人や物の通う生活路でもあり、岩を削った急坂を歩けば、平地の道に慣れた現代の足には、中世の移動の厳しさが体でわかる。なお化粧坂という名の由来には諸説があり、確かなことはわかっていない。仮説として語られるものはいくつかあるが、いずれも後世の伝承の域を出ない点に留意したい。

◉ 源氏山とその周辺は、源氏・北条双方の記憶が層をなす一帯である。山の名は麓に源氏の屋敷があったことに由来するとの説が有力で、後三年の役に際し八幡太郎義家が山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈ったという伝承から「旗立山」の別名もある。山頂の頼朝像は1980年、頼朝の鎌倉入り800年を記念して建てられた比較的新しいものである。麓の銭洗弁財天は、巳年・巳の月・巳の日に頼朝が宇賀福神の夢のお告げを受けて社を建てたという伝説を起源とし、銭を洗う習わしは北条時頼の代に広まったと伝わる。前日に訪ねた頼朝・義時の墓所や、この日の寿福寺に眠る政子・実朝と併せて見れば、源氏の草創と北条の世とが、鎌倉という小さな盆地のうちに幾重にも重なっていることが、いっそう実感されるだろう。

5 旅を終えて

余韻

二日目で最も印象に残りやすいのは、北鎌倉の円覚寺・建長寺という五山の禅刹と、化粧坂の切通である。山あいにしずもる禅寺の静けさと、岩肌のあらわな急坂を自分の足で越えた手ごたえは、対照的でありながらどちらも鎌倉らしい。寿福寺で北条政子・源実朝の墓所を確かめ、源氏山から町の地形を見渡せたことで、前日の鶴岡八幡宮や法華堂跡の記憶ともつながり、二日間の旅が一本の線として結ばれた。

振り返り

注意したいのは、化粧坂が岩肌の急坂で、雨上がりは特に滑りやすいこと。無理をせず慎重に登りたい。亀ヶ谷坂の切通や寿福寺の裏山墓地も山道を含むため、足元の安定する靴が要となる。寿福寺は境内が通常非公開で、参道と墓地のみの拝観となる点、各寺の拝観時間・定休・拝観料は要公式確認としたい。現金の要否も要公式確認。

この旅ならではの持ち物として自然なのは、切通や山道に対応できる滑りにくい歩きやすい靴、銭洗弁財天で手や硬貨を拭くための小さなタオル、そして洗うための小銭である。紙幣を洗う場合は、濡れても困らないよう一工夫しておくと安心できる。

旅人

この二日目が向くのは、禅寺の静けさや中世史の機微をじっくり味わいたい人、そして切通や山道といった起伏のある道を、観光というより小さな探検として楽しめる人である。名所を足早に巡るより、地形や歴史の重なりを歩きながら確かめることに面白みを感じる人に、ことに合う行程といえる。

次の旅へ

観音と大仏にはじまり、武家の墓所をめぐり、禅刹と切通を越えて、源氏山の泉に詣でて旅は了はる。声高に名所を誇るでもなく、ただ古き道を黙してたどるうちに、源氏と北条の世のはじめと終はりとが、しづかに胸へ沈んでゆく。鎌倉はまた季節をかへて、別の貌を見せるであらう。さやうな日をいつか心待ちにしつつ、いまはこの二日の余韻を懐に、家路につくのである。かやうな旅も、またよい。

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