鎌倉一泊旅二日目 北鎌倉の禅寺と切通しを歩き、源氏山から鎌倉駅へ戻る旅

目次

1 今日のテーマ 北鎌倉の禅寺から切通しへ、山の鎌倉を歩く一日

鎌倉一泊旅の二日目は、由比ヶ浜の早朝散歩と宿の朝食から始め、北鎌倉へ移動して円覚寺、建長寺をめぐり、亀ヶ谷坂切通を通って鎌倉中心部へ戻る。午後は寿福寺、化粧坂切通、源氏山公園、銭洗弁財天宇賀福神社を歩き、最後に鎌倉駅周辺で土産と休憩を取って帰る。寺院、切通し、山道、町の西口を一続きに歩き、鎌倉が山と谷戸に抱かれた武家の都市であったことを実感する行程である。

2 基本情報

由比ヶ浜海岸

内容:早朝散歩。

目的:二日目の観光前に、海辺の時間をゆっくり取る。

注意点:天候、風、足元の状態により、散歩時間は短縮してもよい。

KKR鎌倉わかみや

住所:鎌倉市由比ガ浜4-6-13。

内容:宿泊、朝食、出発前の身支度。

アクセス:由比ヶ浜駅から徒歩5分、由比ヶ浜海岸まで徒歩2分。

注意点:二日目は歩行距離が長いため、朝食は急がず、荷物を軽くして出発する。

鎌倉駅から北鎌倉駅

移動手段:JR横須賀線。

内容:鎌倉駅から北鎌倉駅へ移動する。

荷物:軽ければそのまま持参。重ければ鎌倉駅のロッカー利用を検討する。

ロッカーの空き状況、料金、利用時間:要公式確認。

円覚寺

所在地:神奈川県鎌倉市山ノ内。

アクセス:JR横須賀線「北鎌倉駅」下車徒歩1分。

拝観時間:3月〜11月は8:30〜16:30、12月〜2月は8:30〜16:00。

拝観料:大人500円、小人200円。

内容:鎌倉五山第二位。北条時宗、元寇後の鎮魂、臨済宗、無学祖元を確認する。

注意点:三脚、一脚の使用など、境内での撮影規則は要公式確認。

建長寺

住所:神奈川県鎌倉市山ノ内8。

拝観時間:8:30〜16:30。

拝観料:大人500円、小人200円。

支払い:現金のみ。

内容:鎌倉五山第一位。北条時頼、蘭渓道隆、臨済宗、禅宗文化、武士の精神文化を確認する。

注意点:境内は広く、見学時間が伸びやすい。午後の切通し歩きを考え、奥へ進みすぎない判断も必要である。

亀ヶ谷坂切通

所在地:鎌倉市山ノ内から扇ガ谷3丁目付近。

内容:北鎌倉から鎌倉中心部へ戻る切通し。

位置づけ:鎌倉七切通の一つ。山ノ内と扇ガ谷を結び、その先は武蔵方面へ通じる要路とされる。

注意点:坂道を含むため、歩きやすい靴が必要。雨上がりは足元に注意する。

寿福寺

住所:鎌倉市扇ガ谷1-17-7。

拝観範囲:参道から中門まで可能。源実朝・北条政子の墓と伝わるやぐらはお参り可。

拝観料:志納。

内容:北条政子創建、栄西、鎌倉五山第三位を確認する。

御朱印:しばらくの間休止。最新状況は要公式確認。

扇ガ谷・鎌倉駅西口周辺ランチ

内容:午後の化粧坂切通に備え、軽めの昼食を取る。

店舗名、営業時間、定休日、予約可否、料金:要公式確認。

注意点:午後に山道と坂道が続くため、長居しすぎず、歩きやすい時間配分にする。

化粧坂切通

読み:けわいざか。

内容:岩肌、急坂、中世の道の感覚を体感する切通し。

位置づけ:鎌倉七切通の一つで、扇ガ谷、佐助方面から梶原、藤沢、武蔵方面へつながる道とされる。

注意点:未舗装に近い箇所や滑りやすい箇所があるため、雨上がりは無理をせず慎重に歩く。

源氏山公園

所在地:鎌倉市扇ガ谷四丁目649番1。

内容:源頼朝像、山側の地形理解、休憩。

アクセス:鎌倉駅西口から徒歩約20分。ただし途中に長い坂があり、園路にも起伏がある。

注意点:歩きやすい靴が必要。雨天時、雨上がりは足元に注意する。

銭洗弁財天宇賀福神社

所在地:鎌倉市佐助方面。

参拝時間:8:00〜16:30。16:00までに到着する案内あり。

拝観料:志納。

内容:湧き水の洞窟、銭洗いの信仰を確認する。

注意点:周辺は坂道を含む。参拝作法、混雑、受付時間の詳細は要公式確認。

鎌倉駅周辺・豊島屋本店

豊島屋本店住所:神奈川県鎌倉市小町2-11-19。

内容:土産購入、休憩。

商品:鳩サブレーなど。

営業時間、定休日、在庫状況:要公式確認。

モデルスケジュール

6:30〜7:00 由比ヶ浜海岸 早朝散歩。海はここでゆっくり拾う

7:30〜8:45 KKR鎌倉わかみや 長めの朝食。二日目は歩くので、ここは急がない

9:00頃 KKR鎌倉わかみや出発 荷物が軽ければそのまま。重ければ鎌倉駅ロッカー

9:15頃 鎌倉駅 JRで北鎌倉へ

9:25頃 北鎌倉駅 下車

9:30〜10:40 円覚寺 鎌倉五山第二位。北条時宗、元寇後の鎮魂、臨済宗を確認

10:55〜12:15 建長寺 鎌倉五山第一位。北条時頼、臨済宗、禅宗文化、武士の精神文化を確認

12:15〜12:45 亀ヶ谷坂切通 北鎌倉から鎌倉中心部へ戻る自然な切通しを歩く

12:50〜13:20 寿福寺 北条政子創建、栄西、鎌倉五山第三位、伝北条政子墓・伝源実朝墓を確認

13:25〜14:15 扇ガ谷・鎌倉駅西口周辺 午後の化粧坂に備えて軽めの昼食

14:30〜15:10 化粧坂切通 岩肌、急坂、中世の道の感覚を体感。雨上がりは無理せず慎重に歩く

15:10〜15:40 源氏山公園 頼朝像、山側の地形理解

15:45〜16:20 銭洗弁財天宇賀福神社 参拝

16:40〜17:20 鎌倉駅周辺・豊島屋本店 土産、休憩

3 旅の情景

由比ヶ浜の朝

朝、由比ヶ浜の海は明るかった。前日の雨が嘘のように空は青く、海岸の駐車場には、サーフボードを抱えた人々がぽつぽつと集まり始めていた。波は大きいというほどではない。けれども、晴れた朝の海には、人を外へ誘う力がある。

仕事へ向かう前にひと滑りする者もいるのであろう。かつての知人にも、そんな暮らしをしていた人がいた。海の近くに住むとは、こういう朝を生活の中に持つことなのだと思った。

宿の朝食と、身軽になる支度

ホテルへ戻り、朝食をいただく。これが実に充実していて、つい食べ過ぎてしまった。旅先の朝食というものは危うい。少しずつ取るつもりが、あれもこれもと皿にのせ、気づけば朝から大いに満腹である。けれど、これもまた宿の楽しみなり。前日、雨の鎌倉をよく歩いた体には、温かな朝食がしみわたった。

チェックアウトを済ませ、江ノ電で鎌倉駅へ向かう。鎌倉駅では荷物を預けるためにコインロッカーを探したが、西口には思いのほか空きが多く、すぐに預けることができた。これは実務上、たいへんありがたかった。身軽になると、旅の足取りはまるで違う。東口へ回り、今度は北鎌倉へ向かうため、あえてバスに乗ることにした。

バスで北鎌倉へ

バスはちょうどよい時刻にあり、座席にも余裕があった。車窓から鎌倉の町を眺めながら進むと、徒歩や江ノ電とはまた違う景色が見える。道沿いの店、住宅、学校、寺の門前、観光客の流れ。北鎌倉へ近づくにつれ、人の数が次第に増えてゆくのがわかった。紫陽花で名高い寺へ向かう人々であろう。皆、同じ方角へ歩いていた。

建長寺の前を通った時、大きな建物が目に入り、寺の建物にしては現代的だと思った。後で、それは高校の校舎であり、かつて桑田佳祐が通った鎌倉学園であると知る。寺町の風景の中に、学生たちの日常が並んでいるのが面白い。鎌倉は古都でありながら、ただ保存された町ではない。歴史の隣で、今の暮らしが普通に動いている。

円覚寺、元寇の鎮魂を思う

北鎌倉で降り、まず円覚寺へ向かった。円覚寺は、元寇で亡くなった人々を敵味方の区別なく弔うために創建されたと伝わる寺である。その発想に、私は少なからず心を動かされた。戦いに勝った、負けたという話だけではなく、命を落とした者を弔う場として寺を建てる。そこには、武家政権の時代でありながら、死者へのまなざしがある。

境内は広く、歩いても歩いても奥がある。国宝の梵鐘も見た。山を背負うように伽藍が並び、石段を上がり、門をくぐり、また次の建物へ進む。拝観料はこの旅で多く見かけた五百円であり、一つひとつは手頃に思えるが、寺をいくつも巡れば、すぐに数千円になる。鎌倉を丁寧に見るとは、足も財布も少しずつ使うことなのだ。

紫陽花の行列を見て、道を変える

円覚寺を出ると、紫陽花の名所へ向かう人の列がますます濃くなっていた。せっかく近くまで来たのだからと、私たちも一応その方向へ歩いてみた。ところが、入口がまだ見えぬほど手前から、すでに入場待ちの列ができている。「最後尾はこちら」と看板を持つ人が立ち、多くの人々が当然のように並んでいる。前日の長谷寺で紫陽花の行列を経験した身には、ここで再び並ぶ気力は湧かなかった。

紫陽花は美しい。しかし、人波の中で見る花は、時に花そのものより列の印象が勝ってしまう。今回は無理をせず、すぐに離脱することにした。建長寺も鎌倉五山第一位の大寺であり、見るべき場所は多いはずである。けれど、この日の私は、大きな寺をもう一つ見るより、鎌倉の地形そのものを歩いてみたい気持ちが勝った。そこで、亀ヶ谷坂切通の方へ向かうことにした。

亀ヶ谷坂切通へ

長寿寺のあたりまで来ると、急に空気が変わる。先ほどまで大通りには観光客があふれ、寺の入口には列ができていたのに、少し道を入っただけで、町は静けさを取り戻した。木々の陰が濃くなり、道幅は狭まり、鎌倉が山に囲まれた町であることが足元からわかってくる。

亀ヶ谷坂切通へ入る。舗装はあるものの、道は整いすぎておらず、左右の崖が迫る。山を削って道を通したということが、説明を聞かずとも見てわかる。落石注意の表示もあり、雨上がりの地面を見ながら、そろそろと歩いた。ここを往来した人々は、荷を担ぎ、馬を引き、あるいは急ぎの知らせを持って、どのような気持ちでこの坂を越えたのだろうか。観光名所というより、鎌倉の防御と交通を肌で感じる場所であった。

化粧坂を上り、源氏山へ

建長寺を見送ったため、時間にはまだ余裕があった。標識には源氏山公園の文字があり、せっかくならばと化粧坂切通を通って源氏山へ上がることにした。ところが、この道がなかなか手強かった。雨上がりの土は濡れ、足元は滑りやすい。岩と土が露出した坂を、慎重に一歩ずつ上がってゆく。先ほどの亀ヶ谷坂より、さらに野趣が濃い。切通しとは、古道の名を持つ散策路である以前に、山を越える現実の道だったのだと実感した。

苦労して上がると、源氏山公園では子どもたちが元気に遊んでいた。その明るい声に、少し拍子抜けする。頼朝像も見た。像そのものは現代に造られたもので、歴史の迫力というより、鎌倉散策の目印のような存在である。けれど、山の上に立ち、周囲を見渡すと、源氏の名を冠する場所として人々に親しまれてきた時間の重なりは感じられた。

銭洗弁財天の人波

そこから銭洗弁財天へ下る。ここはさすがに観光地らしく、人が多かった。駐車場もあり、参拝客が次々と訪れる。湧水にまつわる信仰が、いつしか銭を洗えば増えて戻るというわかりやすい祈願と結びつき、多くの人を引き寄せているのだろう。

洞窟めいた入口、湿った空気、線香の匂い、参拝の人波。どこか民間信仰の濃さがあり、寺社の格式とはまた別の力を感じた。おいしそうな団子も売られていたが、朝食を食べ過ぎた身には、そこまで手が伸びなかった。

鎌倉ゆりあぺむぺるで昼を整える

その後、鎌倉市役所の方へ下り、寿福寺を目指した。距離としては近いようでいて、実際には道を回り込む必要があり、鎌倉の町は地図で見るより歩かせる。ちょうど昼時で、市役所周辺には感じのよい喫茶店がいくつもあった。その中で「鎌倉ゆりあぺむぺる」という店に入った。名前も不思議で、店内もクラシックなよき喫茶店であった。

席は混んでいたが、幸い座ることができた。ランチセットでシーフードスープとトーストをいただく。このスープがとてもおいしかった。きちんと作られた味がした。ケーキも魅力的であったが、朝から十分すぎるほど食べていたため、ここは無理をせず、コーヒーで締めた。旅先の喫茶店は、観光の合間に体を整える小さな港のようなものである。

寿福寺の墓所へ

再び歩いて寿福寺へ向かう。まずは北条政子と源実朝の墓と伝わる場所を訪ねた。墓地の中を奥へ奥へと進み、石段を上がった先に、やや心細くなるほど静かな場所があった。本当にこちらでよいのだろうかと思う頃、手書きの案内が見え、その先に小さな石塔が並んでいた。政子、実朝という名の大きさに比べ、そこは驚くほど控えめで、雨の名残を含んだ地面が静かに湿っていた。

観光地として整えられ、賑わう寺社も鎌倉である。一方で、歴史上の大人物の墓とされる場所が、ほとんど人影もなく、山の陰にひっそり残っている。そこに寂しさを感じると同時に、鎌倉の本当の深さも感じた。歴史とは、必ずしも大きな看板や華やかな展示で語られるものではない。小さな石塔と湿った土の前で、こちらが静かに想像することを求めてくる。

寿福寺の静けさ

いったん下り、寿福寺の正面へ回った。境内の奥までは入れず、参道を前から眺める形である。鎌倉五山第三位の寺で、北条政子が創建したとされる由緒ある寺ながら、観光地化された寺とはまるで趣が違う。

飾り立てず、静かに閉じている。その佇まいは、武家の人々がつくった寺らしい実直さを帯びていた。見せるためではなく、そこに在るために在る。そういう印象を受けた。

大佛次郎ゆかりの家へ

まだ少し時間があったため、大佛次郎ゆかりの家を見に行くことにした。公開日は限られているようで、この日は中へ入ることはできなかった。茅葺きらしき屋根の建物は閉ざされ、草も伸びていて、外から見れば本当に今も時折公開されているのだろうかと思うほどであった。けれど、金網越しに中をのぞくと、確かに大きな家である。ここで『鞍馬天狗』を書いたのだろうか、と想像した。

鞍馬山の牛若丸、義経、頼朝、鎌倉幕府、大佛次郎の物語。実際の歴史と、後世に生まれた文学や芝居が、鎌倉では不思議に重なり合う。歩いているうちに、古道、墓、寺、文学者の家、観光通りが一本の糸で結ばれていくようであった。歴史を学びに来たつもりが、最後には物語の町を歩いていたのだと気づく。

鎌倉駅へ戻る

鎌倉駅へ戻り、預けていた荷物を受け取る。二日目は本当に天気に恵まれた。朝の由比ヶ浜の青空、北鎌倉の人波、切通しの湿った土、源氏山の子どもの声、寿福寺の静けさ。それぞれは別々の場面でありながら、歩き終えてみると、鎌倉という町の層の厚さをそのまま見せていたように思う。

この日の旅でいちばん心に残ったのは、有名な寺の大きさよりも、少し道を外れた時の静けさであった。北鎌倉の混雑から一歩離れると、切通しは急に山の顔を見せ、墓所は人知れず雨の名残を抱いていた。鎌倉は、表通りだけを歩けば観光地である。しかし坂を上がり、土を踏み、少し息を切らせると、要塞都市であり、武家の町であり、文学の町でもあったことが見えてくる。旅の価値は、予定を詰めることだけにあらず。少し外れた道にこそ、土地の本音が残っていることもある。

4 地理と歴史のノート

◉ 円覚寺は、1282年(弘安5)に鎌倉幕府第8代執権・北条時宗が、中国・宋から来日した無学祖元を開山として創建した臨済宗の大寺院である。創建の背景には、1274年(文永11)の文永の役、1281年(弘安4)の弘安の役という二度の元寇がある。円覚寺側の説明でも、時宗が蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うために建立を発願したことが示されている。ここで大切なのは、円覚寺を単に「鎌倉五山第二位」と暗記するだけで終わらせないことである。元寇は日本側にとって勝利の記憶として語られやすいが、円覚寺の創建趣旨には、戦に倒れた者を敵味方なく弔うという鎮魂の思想が含まれる。国宝の舎利殿をはじめ、境内には禅宗建築と鎌倉後期の政治文化が重なっている。ちょっといい話として添えれば、北条時宗は若くして執権となり、蒙古襲来という国家的危機に向き合った人物であるが、その後に建てた寺が、勝利の誇示ではなく鎮魂を前面に持つ点に、鎌倉武士と禅の関係の奥行きが見える。

◉ 建長寺は、1253年(建長5)に鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が、宋の禅僧・蘭渓道隆を開山として創建した寺で、鎌倉五山第一位に列せられる。日本で最初の本格的な禅宗専門道場と説明されることが多く、鎌倉幕府と禅宗の強い結びつきを考えるうえで欠かせない場所である。建長寺の伽藍は、総門、山門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶ構成を持ち、これは禅宗寺院の秩序だった空間を体感しやすい。創建地は、もとは「地獄谷」と呼ばれた場所で、地蔵菩薩を本尊とする心平寺があったと伝わる。この「地獄谷」の記憶と、建長寺本尊が地蔵菩薩である点を重ねて見ると、単なる大寺院ではなく、土地の記憶を包み替えて成立した寺として読むこともできる。ただし、地獄谷や心平寺に関する細部には伝承的要素も含まれるため、断定しすぎず、寺伝・地域伝承として扱うのが安全である。なお、建長寺ゆかりの話としてよく知られる「けんちん汁」は、建長寺の精進料理に由来するという説があるが、語源については諸説があり、確定した事実として言い切るより、鎌倉の食文化を楽しむ小話として添えるのがよい。

◉ 亀ヶ谷坂切通と化粧坂切通は、鎌倉が三方を山に囲まれた都市であったことを、足で理解させてくれる道である。鎌倉は南を海に開き、北・東・西を山に囲まれるため、防御上は有利であったが、人や物資の往来には不便であった。そこで山の稜線を切り開いて通路を作り、鎌倉と外部を結んだ道が切通しである。亀ヶ谷坂は山ノ内と扇ガ谷を結び、その先は武蔵方面へ通じる要路で、現在も生活道路として使われる国指定史跡である。名の由来については、建長寺の大覚池にいた亀が急坂を上ろうとして途中で引き返した、あるいはひっくり返ったため「亀返坂」とも呼ばれたという伝承がある。なんとも愛嬌のある話だが、史実というより地名説話として味わうのが適切である。一方の化粧坂は「けわいざか」と読み、扇ガ谷・佐助方面から梶原、藤沢、武蔵方面へつながる道とされる。表記は「化粧」「仮粧」「気生」「気和飛」など揺れがあり、名の由来も、首実検のために首を化粧したから、遊女がいたから、など諸説ある。確証ある一説に絞るより、地名が後世の記憶や物語をまといながら伝わった例として見ると面白い。今回の旅では、午前に亀ヶ谷坂、午後に化粧坂を歩くため、鎌倉の入口と山道の性格を二度体験できる構成になっている。

◉ 寿福寺は、1200年(正治2)に北条政子が明庵栄西を開山として創建したと伝わる禅寺で、鎌倉五山第三位に数えられる。源頼朝の死の翌年にあたる時期に政子が建立した寺として見ると、寿福寺は単なる禅寺ではなく、頼朝没後の鎌倉における政子の位置を考える場所になる。現在は参道から中門までの参拝が中心で、仏殿などの奥の伽藍は通常非公開である。裏山には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔のあるやぐらがある。ただし「伝」と付く点が重要で、これを中世当時から確実に本人墓であったと断定するのは避けるべきである。むしろ、頼朝、政子、実朝という鎌倉幕府初期の人物像が、後世の信仰や記憶の中でどのように場所へ結びつけられていったのかを見る場所として価値がある。ちょっといい話としては、寿福寺の魅力は大伽藍の内部を見尽くすことではなく、石畳の参道を歩き、中門の手前で足を止める、その“見えない奥行き”にある。公開範囲が限られるからこそ、かえって鎌倉の静けさが濃く感じられる寺である。

5 旅を終えて

余韻

二日目で最も印象に残るのは、北鎌倉の円覚寺・建長寺から、亀ヶ谷坂切通、寿福寺、化粧坂切通、源氏山公園へと続く山側の流れである。前日の長谷、若宮大路、鶴岡八幡宮が「海から都市軸へ向かう鎌倉」だとすれば、二日目は「山から町へ入り、切通しを越える鎌倉」であった。禅寺の静けさと、切通しの荒々しい地形が同じ一日の中にあることが、この旅の良さである。

振り返り

注意点は、歩行距離と高低差である。円覚寺、建長寺、亀ヶ谷坂、寿福寺、化粧坂、源氏山、銭洗弁天と続くため、寺社めぐりというより軽い山歩きを含む行程として考えた方がよい。雨上がりの化粧坂は滑りやすいため、無理に通らず、状況によってはルート変更も必要である。

あると嬉しい持参物は、滑りにくい靴、両手が空く小さめバッグ、汗拭き用の薄手タオル、拝観料用の小銭である。特に建長寺は拝観料の支払いが現金のみの案内であるため、現金は用意しておきたい。鎌倉駅のロッカー利用、豊島屋本店の営業時間、飲食店の営業状況は要公式確認。

旅人

この旅は、鎌倉五山、北条氏、禅宗文化、切通し、源氏山の地形をまとめて理解したい人に向いている。食べ歩きや買い物を主目的にする旅ではなく、寺院と道をつなげて歩き、鎌倉の成り立ちを体で覚えたい人に合う。

次の旅へ

朝、由比ヶ浜に海を見て、午前、北鎌倉の禅寺に入る。昼、亀ヶ谷坂を越え、午後、化粧坂の岩肌を踏む。鎌倉という町は、海辺の明るさと山道の陰影をあわせ持つ。名所の名をなぞるだけでなく、道を歩き、坂を越え、谷戸の奥行きを知る旅もまたよい。帰りの横須賀線に揺られる頃、鎌倉は地図の上の点ではなく、足の記憶として残っている。

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